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和ラダイスガラージというイベントに遊びに行った。
古今東西の国産音楽をダンスミュージックとして再構築する和モノDJパーティー。
素晴らしく楽しかったー。クラブの音響で聴く昔の歌謡曲の吸引力ったらないねえ。かっこいい音楽の宝庫だったんだなあ。

このイベントに行こうと思った一番のきっかけは、町あかりの出演。
歌謡曲の流れを汲む80年代アイドルポップを平成の世で体現するシンガーソングライター。イベントの趣旨にここまで添う人材ってのもなかなかいないだろう。クラブイベントではどう受け取られるかな?と思ったけど、盛り上がっていたようでよかったよかった(会場の反応を後ろの方から観察してみようとか思ってたけどステージが始まった瞬間にワーと前のほうに行ってしまったのでした)。




最近こういう音楽にとにかく惹かれるんだけど、その魅力を端的に表現してくれている文章に出会った。
週刊てりとりぃ【町あかり大特集号】
こちらの五條弾氏のレビューにある、音数の少なさによって歌や歌詞が研ぎ澄まされる、という話が実にしっくりと来た。
そしてそれは歌だけではなく、バックの演奏の一つひとつの音の強さにもなっている。
なんとなくのイメージで、歌謡曲って歌ばかりが強調されてる音楽だよなあなんて思ってたんだけど。これだけ音の溢れかえった世の中に置かれた今の耳で改めて聴くと、シンプルな音と歌が一体となってインパクトのあるひとつの音楽をつくっているということがわかる。そしてそういう音楽を浴びるのは、とても新鮮で心地よい体験なのである。

洋楽至上主義のクソガキだった頃の一時期に、古いブルーズに嵌って、ああ、こういうバックボーンを持っている英米のロックが羨ましいなあなんて思ってたんだけど。
日本の音楽にも、素敵なバックボーンが存在するのである。
そして、それを再評価するイベントが開催されたり、町あかりのような若いアーティストがその魅力を受け継いで表現したり。
歌謡曲、捨てたもんじゃないな。

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